2004年06月10日
(株)佐藤秀
市場 | ジャスダック |
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コード | 1874 |
発行株数 | 9,300,000 |
単位株数 | 1000 |
倒産時株価 | 185 |
廃止時株価 | |
倒産日 | 04.06.10 |
廃止日 | |
負債 | 29,650百万円 |
資本金 | 1,086,850千円 |
所在地 | 東京都 |
態様 | 民事再生法 |
メモ/記事引用
ジャスダック(JASDAQ)上場の建築工事業、(株)佐藤秀(資本金10億8685万円、東京都新宿区新宿5-6-11、代表内野邦夫氏、従業員229人)と関連会社の(株)秀コーポレーション(資本金2000万円、同所、代表永井大二郎氏、従業員26人)、(株)エスディ・コーポレーション(資本金5000万円、東京都大田区大森西5-29-11、代表蓮池信之氏、従業員12人)の3社は、6月10日に東京地裁へ民事再生法を申請し、同日保全命令を受けた。申請代理人は藤原総一郎弁護士(東京都千代田区丸の内1-1-2、電話03-5223-7729)ほか11名。当社は、1929年(昭和4年)1月創業、有限会社を経て1948年(昭和23年)5月に(株)佐藤秀工務店の商号で法人改組された建築工事業者で、94年7月に現商号へ変更していた。マンション、商業ビル、一般個人住宅を主体に手がけ、特に寺院・高級住宅などの木造工事においては相応の実績と技術力を有し、高額所得者層の住宅新築工事では特命工事も多いなど、業界内では“建築の佐藤秀”として高い評価を得ていた。バブル景気時には追い風に乗って急成長を果たし、88年10月には店頭市場(現・JASDAQ)に株式を上場、90年には株価も一時は1万9500円を付け、92年3月期には年売上高約471億1400万円をあげていた。しかし、過去の不動産事業に伴う借入金の負担が重く、90年代以降は多額の有利子負債が大きな経営課題となっていた。このため、鹿島建設(株)(東証1部)の支援を得て(持株比率16.7%)、2001年8月には同社出身の内野氏が社長に就任し再建を図ってきた。建設市況の低迷が続き、近年はゼネコンの倒産、債務免除要請などが相次ぐなか、「新経営3ヵ年」(2003年~2005年度)を実施し立て直しを進めていたが、業況悪化に歯止めはかからず、2004年同期の年売上高は約228億3700万円にとどまっていた。また、同期末時点で有利子負債約181億2200万円を抱えていたことから、「適正な借入金水準を越えている」として、『継続企業の前提の疑義(ゴーイング・コンサーン)』の注記がなされていた。今期に入っても受注環境の悪化が続いたことから資金繰りが行き詰まり、6月11日および6月15日予定の支払手形の決済の見通しが立たなくなっていた。負債は(株)佐藤秀が約296億5000万円、(株)秀コーポレーションが約44億1900万円、(株)エスディ・コーポレーションが約86億8800万円で、3社合計で約427億5700万円。今年に入ってからの上場会社の倒産は、(株)東北エンタープライズ(福島、負債約79億9000万円、5月民事再生法、JASDAQ)に続いて8社目となる。