2001年12月06日
(株)青木建設
市場 | 東1、大1 |
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コード | 1886 |
発行株数 | |
単位株数 | 1000 |
倒産時株価 | 2(場中発表) |
廃止時株価 | 1 |
倒産日 | '01.12.06 |
廃止日 | |
負債 | 390,001百万円 |
資本金 | 21,538,429千円 |
所在地 | 東京都 |
態様 | 民事再生法 |
メモ/記事引用
東証、大証1部上場の中堅ゼネコン、(株)青木建設(資本金215億3800万円、東京都渋谷区渋谷2−17−3、登記面=大阪市北区大淀南1−4−15、矢野洋一郎社長、従業員1241人)は12月6日、東京地裁へ民事再生手続き開始を申請した。当社は1947年(昭和22年)5月に、旧海軍出身者を中心にブルドーザー工事(株)の商号で設立された土木建設工事業者。1962年7月に東証2部、64年2月に東証・大証各1部に上場、69年8月に現商号の(株)青木建設に商号変更した。重土木機械による港湾土木、ダム、宅地造成、都市開発、鉄道・道路・河川工事のほか、東南アジアなど海外工事に実績と特色を有するゼネコン(総合建設業者)で、最近の営業比率は、土木工事63%,建設工事37%のウェートで、官民比率では官公庁工事44%、民間工事56%の割合となっていた。好景気時には国内だけでなく海外にも進出し、88年には米国シアトル市のウェスティンホテルを約11億ドル(当時の為替レートで約1400億円)で買収するなど、大型ホテル事業等を積極的に展開したことでも話題になり、ピーク時の93年3月期には年売上高約3474億6800万円をあげ、中堅上位にランクされるゼネコンとして営業地盤を確立していた。しかし、これらの事業を多数のグループ企業で運営していたため、保証債務や有利子負債は膨大な金額に達し、これが本体の経営の重荷となるほか、バブル崩壊以降はホテル事業の大半も赤字経営に陥いるなど、経営難が表面化していた。このため96年6月には旧・建設省出身の矢野氏が社長に就任、またメーンバンクの日本興業銀行,あさひ銀行の両行から代表取締役副社長が就任、建設業への本業回帰や持株会社の集約などの「5ヵ年新経営計画」を策定してきた。その後も経済環境の悪化が続く中、多額の有利子負債の抜本的解決を迫られ、98年秋には主力銀行に対し債務免除の要請をおこない、99年3月期で約2049億円の債務免除益を計上していた。また従前の再建計画を大幅に見直し、従業員を1200人台にまで削減するなどリストラに注力するほか、海外ホテル事業からも順次撤退、また債務保証先企業の整理などを進めていたが、2001年同期の年売上高は約1417億9100万円にとどまり、また財務面は連結ベースで債務超過に陥るなど厳しい状況を余儀なくされていた。こうした中、不良債権処理問題が経済再生の大きな課題としてクローズアップされ、当社の株価も額面(50円)を大きく割り込むなど、債務免除を受けたゼネコンに対する見方は厳しさを増し、取引先などの間で信用不安は根強くなっていた。このため再三にわたり、会社側は信用不安の払拭につとめていたものの、取引業者の動揺に歯止めがかからず、加えて今年11月以降は金融庁による銀行に対する特別検査の実施などもあって、銀行支援も限界となり自主再建を断念、法的措置がとられた。2001年9月末時点の負債は、約3841億円(保証債務等93億5000万円、転譲手形26億5600万円を含む)。なお上場ゼネコンの倒産は、東海興業(株)(97年7月会社更生法申請、負債5110億700万円、東京)以後、通算7社目となるが、債務免除を受けたゼネコンの倒産は初めて。また上場企業の倒産は(株)新潟鐵工所(11月27日会社更生法申請、負債2270億円、東京)に次いで、今年13社目。