2002年03月
2002年03月31日
日産建設(株)
市場 | 東1 |
---|---|
コード | 1818 |
発行株数 | 85,349,165 |
単位株数 | 1000 |
倒産時株価 | 40 |
廃止時株価 | |
倒産日 | '02.03.30 |
廃止日 | |
負債 | 114,657百万円 |
資本金 | 10,267,039千円 |
所在地 | 東京都 |
態様 | 会社更生法 |
メモ/記事引用
東証1部上場の中堅ゼネコン、日産建設(株)(資本金102億6703万9000円、東京都港区南青山1-2-6、藤田毅社長、従業員1245人)は、3月30日に東京地裁へ会社更生法の適用を申請し、保全命令を受けた。保全管理人は、那須克巳弁護士(東京都中央区日本橋本町3-3-4、電話03-3516−2281)が選任された。同社は日立・日産グループの源流である久原鉱業(株)の土木工事部門として1924年(大正13年)2月創業し、1946年(昭和21年)7月に設立された総合建設業者。61年10月東証2部に上場を果たし、62年8月には東証1部に上場していた。日立・日産関連グループなどを中心とした民間受注比率が高いのが特徴で、近年の売上構成比は、建築工事が66.7%、土木工事が33.3%となっていた。また、88年11月には筆頭株主だった日立造船グループの保有株式が、マイカル(当時商号=ニチイ)グループへ譲渡されたことで、以降はマイカルが48.16%の株式を有する同社の傘下となり、マイカルが「サティ」、「ビブレ」といった大型店舗の出店を増加させるのにともない、日産建設の売上高も増加を続け、90年3月期に約1203億5800万円だった年売上高は、ピーク時の97年同期には約1920億4100万円にまで増加していた。しかし、近時はマイカルの出店ペースの鈍化とともに売り上げは下降線をたどり、2000年同期の年売上高は約1360億8000万円にまで落ち込んでいた。また、同期では有価証券・販売不動産の評価損や、関連事業・会社整理損などの特別損失処理で、約106億9700万円の当期損失の計上を余儀なくされていた。翌2001年同期にはマイカル関連の受注高は、前期の約300億円に対して約93億円にまで落ち込んでいたが、マイカル関連以外の大型工事の完工が相次いだことで年売上高は約1424億1100万円と前期比増収を果たしていた。しかし、今期に入ってからは長引く建設市況悪化の影響で売り上げは減少を余儀なくされ、2001年5月には3ヵ年の中期経営計画を策定しコスト低減を進めるほか、300人規模の希望退職者を募り経営の合理化を進めていた。こうしたなか、親会社であるマイカルが昨年9月14日に東京地裁へ民事再生法を申請(その後会社更生法へ変更)したことで、同社関連で100億円弱の不良債権が発生したため、同年11月には従前の再建計画を見直し「中期経営改善計画(2001〜2006年度)」を策定し、また本社不動産を約13億円で売却するなど再建に取り組んでいた。しかし、その後、同年11月には香川県高松市の特別養護老人ホームの特殊浴槽設置に絡む詐欺事件で当社社員4名が逮捕される事件が発生し、地元自治体から指名停止処分を受けていたほか、今年に入って一光住宅(株)(負債267億円、名古屋市、1月民事再生法)に対し、約11億円の焦げ付きが発生したため、今期の業績予想を84億円の最終赤字に下方修正するなど、業況悪化と信用不安に歯止めがかからず、自主再建を断念し今回の措置になった。負債は約1146億円。なお、マイカルグループの倒産はマイカルを含めて22社目となる。今年に入って上場会社の倒産は、(株)イセキ開発工機(負債88億円、東京、3月民事再生法)に次いで12社目。また、上場ゼネコンの倒産は、佐藤工業(株)(負債4499億円、東京、3月会社更生法)に次いで通算で9社目となる。
'08.08.29追記
「東京」 りんかい日産建設(株)(資本金70億5500万円、港区芝2-3-8、代表北川克弘氏ほか2名、従業員669名)は、8月29日に東京地裁へ会社更生法の適用を申請した。申請代理人は那須克巳弁護士(中央区日本橋本町3-3-4、電話03-3516-2281)。当社は、1926年(大正15年)に創業、36年(昭和11年)1月に法人改組した。海洋土木工事のパイオニアとして羽田飛行場初期工事や八郞潟干拓工事など数多くの実績をあげ、2003年3月期には年売上高約426億6900万円を計上していた。同年7月には日産建設(株)(2002年3月会社更生法)を吸収合併し、陸上土木部門を取り込むことで総合的に土木工事を手がける中堅ゼネコンとしての地位を確立、2004年3月期には年売上高は約926億1800万円に達していた。また、新規部門の開発事業として都市再生に取り組み、不動産活用事業、コンバージョン事業などを手がけるなどしていたが、公共工事予算の縮小が続くなか、防衛施設庁談合問題により断続的な指名停止を受けるなどしたことで、2008年3月期は年売上高約805億6700万円にとどまっていた。しかし、SPC(特別目的会社)で手がけていた不動産開発事業において、昨今の不動産市況の悪化からファンドへの売却が思うように進まなかったことに加え、(株)NANBU(渋谷区、6月破産)および(株)ケイ・エス・シー(中央区、6月破産)に合計9億円内外の焦げ付きが発生したことで、資金繰りは急速にひっ迫。資金調達に奔走していたが、8月末の支払いが困難となり、今回の措置となった。負債は2008年3月期末時点で約757億3200万円(偶発債務約120億3200万円を含む)。なお、今年に入って倒産したゼネコンでは、真柄建設(株)(負債348億円、石川県、7月民事再生法)を抜いて最大の負債規模となった。
'08.08.29追記
「東京」 りんかい日産建設(株)(資本金70億5500万円、港区芝2-3-8、代表北川克弘氏ほか2名、従業員669名)は、8月29日に東京地裁へ会社更生法の適用を申請した。申請代理人は那須克巳弁護士(中央区日本橋本町3-3-4、電話03-3516-2281)。当社は、1926年(大正15年)に創業、36年(昭和11年)1月に法人改組した。海洋土木工事のパイオニアとして羽田飛行場初期工事や八郞潟干拓工事など数多くの実績をあげ、2003年3月期には年売上高約426億6900万円を計上していた。同年7月には日産建設(株)(2002年3月会社更生法)を吸収合併し、陸上土木部門を取り込むことで総合的に土木工事を手がける中堅ゼネコンとしての地位を確立、2004年3月期には年売上高は約926億1800万円に達していた。また、新規部門の開発事業として都市再生に取り組み、不動産活用事業、コンバージョン事業などを手がけるなどしていたが、公共工事予算の縮小が続くなか、防衛施設庁談合問題により断続的な指名停止を受けるなどしたことで、2008年3月期は年売上高約805億6700万円にとどまっていた。しかし、SPC(特別目的会社)で手がけていた不動産開発事業において、昨今の不動産市況の悪化からファンドへの売却が思うように進まなかったことに加え、(株)NANBU(渋谷区、6月破産)および(株)ケイ・エス・シー(中央区、6月破産)に合計9億円内外の焦げ付きが発生したことで、資金繰りは急速にひっ迫。資金調達に奔走していたが、8月末の支払いが困難となり、今回の措置となった。負債は2008年3月期末時点で約757億3200万円(偶発債務約120億3200万円を含む)。なお、今年に入って倒産したゼネコンでは、真柄建設(株)(負債348億円、石川県、7月民事再生法)を抜いて最大の負債規模となった。
2002年03月27日
(株)イセキ開発工機
市場 | 店頭 |
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コード | |
発行株数 | |
単位株数 | 1000 |
倒産時株価 | 16 |
廃止時株価 | |
倒産日 | '02.03.27 |
廃止日 | |
負債 | 8,800百万円 |
資本金 | 969,926千円 |
所在地 | 東京都 |
態様 | 民事再生法 |
メモ/記事引用
店頭上場の(株)イセキ開発工機(資本金9億6992万6900円、東京都渋谷区代々木4−31−6、山岡優二社長、従業員122人)は、3月27日に東京地裁へ民事再生手続き開始を申請し、同日、保全命令を受けた。申請代理人は大原誠三郎弁護士(東京都千代田区麹町1-6-2、電話03-3239-1311)ほか3名。監督委員には上野正彦弁護士(東京都港区虎ノ門1-1-20、電話03-3501-2356)が選任されている。同社は、1971年(昭和46年)6月に三池エンジニアリング(株)の商号で設立され、1973年(昭和48年)8月に現商号の(株)イセキ開発工機に商号変更された。下水道工事関連機器(掘削機等)の販売、レンタルを中心に下水道掘進工事を主業とし、とくに「アンクルモール」(偏圧破砕型泥水加圧セミシールド掘削機)の製造販売では大手として知られ、中小口径の泥水加圧工法では高いシェアを有していた。89年2月には株式の店頭上場を果たし、ピーク時の94年3月期には年売上高約146億2300万円をあげていた。しかし、機械部門では需要先の下水道工事業者の設備投資抑制から売り上げは落ち込んでいたうえ、工事部門も官公庁工事の受注減少で業況悪化を余儀なくされ、98年同期の年売上高は約99億1400万円と100億円の大台を割り込み、さらに2001年同期の年売上高は約50億4300万円とピーク時の約36%の水準にまで低迷していた。また、従前の工場などへの設備投資から年商を上回る有利子負債を抱えるなど厳しい業況が続いていた。この間、リストラを断行し約400名いた従業員を120名内外にまで削減したほか、資本金の減資などで立て直しに注力していたが、2001年9月中間決算で約11億9600万円(連結ベース)の債務超過に陥るなど財務面の悪化に歯止めがかからなかった。また、2002年度の下水道事業政府予算は13%減少となるなど今後の需要回復も見込めないことから、今回の措置となった。負債は約88億円(保証債務約1億円含む)。今年に入っての上場企業の倒産は、ファーストクレジット(株)(負債2605億3900万円、東京都、3月更生法、店頭上場)に次いで11社目。
2002年03月07日
ファーストクレジット(株)
市場 | 店頭 |
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コード | |
発行株数 | |
単位株数 | 1000 |
倒産時株価 | 92(債権者更生法申立て後) |
廃止時株価 | |
倒産日 | '02.03.07 |
廃止日 | |
負債 | 260,539百万円 |
資本金 | 27,015,258千円 |
所在地 | 東京都 |
態様 | 会社更生法 |
メモ/記事引用
「東京」 店頭上場のファーストクレジット(株)(資本金270億1525万8000円、東京都中央区日本橋3−2−17、鈴木弘章社長、従業員243人)は、大口債権者で筆頭株主である(株)新生銀行より2001年12月27日に東京地裁へ会社更生法を申し立てられていたが、3月7日に同地裁より更生手続きの開始決定を受けた。同社は、旧・日本長期信用銀行系の不動産担保金融専門会社として1981年(昭和56年)3月、日本融資(株)の商号で設立された。その後、1988年(昭和63年)4月にファーストクレジット(株)と合併、存続会社をファーストクレジットとして90年2月には店頭公開を果たしていた。不動産及び有価証券等を担保にした融資のほか不動産事業を行い、融資部門46%、不動産部門・その他部門54%の事業比率で事業を展開、2001年9月末時点で約1614億円の貸付残高を有していた。法人向けを中心に業容を拡大し、不動産担保融資事業では国内最大手の店頭上場企業として、ピーク時の1992年3月期には年収入高約421億6200万円を計上していた。しかし、98年10月にメーンの旧・長銀が経営破綻したことで、同グループ企業との取引についての引当処理や販売用不動産の強制評価減を特別損失として計上、99年同期は約348億2200万円の大幅赤字となっていた。その後、旧・長銀の債権は新生銀行に引き継がれ、取引金融機関との間では金融支援を前提に担保協定を締結し、不良債権の処理も進めて再建計画を実行してきた。その間、本業は貸付部門・不動産部門ともに持ち直しを見せ、2001年同期の年収入高は約327億9200万円を計上していたが、貸倒引当繰入れや未収利息償却により約205億9500万円の最終赤字となり、多額の累損を抱えての運営が続いていた。こうしたなか、担保協定の期限が12月28日に到来することで取引金融機関37社に対し金融支援の継続と新担保協定の要請を行い、この結果国内31社の金融機関からは応諾を得られていたが、新生銀行からは同協定への参加を拒まれ、会社更生法第30条「資本の10分の1以上に当たる債権を有する債権者」であることに基づき会社更生法を申し立てられた。ファーストクレジット側では、今回の新生銀行による申し立てについて「既に国内31社の金融機関から金融支援の約束をいただいているうえ、2001年9月中間期において債務超過には陥っておらず、したがって会社更生手続き開始原因は存在していないものと考えている」とコメントしていた。これに対して、新生銀行側は「2001年9月中間期で多額の実質債務超過に陥ったと認識しており、会社更生法手続き申請の要件は充たしている」と両者の主張には大きな隔たりがあり平行線をたどっていた。このため、12月28日に東京地裁より監督員および調査委員に池田靖弁護士(新宿区新宿2-8-1、電話03-3356-5251)が選任され、2月末をメドに同委員からの報告を経た後、東京地裁の審理に委ねられていた。なお、2001年3月期末時点での借入金合計約2636億円のうち、新生銀行からの借入金は約1260億円となっている。負債総額は2001年9月中間期時点で約2697億3400万円。また、今年に入っての上場企業の倒産は、佐藤工業(株)(負債4499億円、東京、3月更生法)に次いで10社目。
2002年03月03日
佐藤工業(株)
市場 | 東1・大・名1 |
---|---|
コード | 1804 |
発行株数 | 261,493,013 |
単位株数 | 1000 |
倒産時株価 | 41 |
廃止時株価 | |
倒産日 | '02.03.03 |
廃止日 | |
負債 | 449,900百万円 |
資本金 | 19,378,882千円 |
所在地 | 東京都 |
態様 | 会社更生法 |
メモ/記事引用
東証1部上場の準大手ゼネコン、佐藤工業(株)(資本金 193億7888万2000円、東京都中央区日本橋本町4-12-20、登記面=富山県富山市桜木町1-11、吉田 弘社長、従業員2999人)は3月3日、東京地裁へ会社更生法の適用を申請、同日保全命令を受けた。申請代理人は清水直弁護士(東京都中央区八重洲2-2-12、電話03-5202-0585)ほか5人。また、保全管理人には梶谷剛弁護士(東京都千代田区丸の内1-5-1、電話03-3212-1451)が選任されている。同社は1862年(文久2年)に佐藤組として創業され、1931年(昭和6年)7月法人改組された、創業140年の歴史を誇る総合建設業者。1961年(同36年)10月に東京、大阪、名古屋の各証券取引所2部に上場、翌1962年(同37年)5月に1部上場を果たした。従来からトンネル・ダムなどの大型土木工事の技術力には定評があり、「青函トンネル」の工事などに実績を残し、また民間建築部門にも注力し、最近の事業ウェートは、土木46%、建築53%、不動産事業ほか1%の割合で、官民比率は、官公庁=48%、民間=52%のウェートだった。この間、バブル経済期には、デベロッパーやリゾート関連企業に債務保証をおこなってリゾート施設、ゴルフ場などの開発事業に積極的に進出し、また92年5月には全日空スポーツ(株)(当時)に40%の株式を出資し、Jリーグチーム「横浜フリューゲルス」の経営母体の1社になったことでも話題を集め(その後、同社がリストラを理由にチーム運営から撤退したため、横浜フリューゲルスは99年2月に横浜マリノスと合併)、ピーク時の96年3月期には年売上高約6293億5100万円を計上していた。しかし、バブル経済の崩壊と建設市況の低迷から利益率は悪化し、従前の開発事業への傾倒による関連企業や開発業者に対する債務保証、貸付金が重荷となり、有利子負債も4211億円(96年3月期、単体ベース)を抱えるなど、財務面は著しく悪化していた。このため、96年4月には「5ヵ年計画」を策定し米国事業からの全面撤退を決め、さらに97年9月には前年の計画を修正する「経営構造改善計画」を発表、98年1月には創業者一族の前社長・佐藤嘉剛社長が引責辞任し、現代表の吉田弘氏が社長となり、またメーンの第一勧銀出身の役員が代表取締役副社長に就任していた。さらに99年2月には、過剰債務の抜本的解決を目指し、第一勧銀、北陸銀行など金融機関へ債務免除を要請し、同年3月期に約1109億円の債務免除益を計上し、あわせて不動産事業を行っていた子会社・佐工不動産(株)を清算するなど、巨額の特別損失処理を断行し、2001年同期の年売上高は約4133億5700万円(単体ベース)となっていた。しかし、債務免除を受けた後も連結ベースでの有利子負債は3179億円に達するほか、長期未収債権等895億円を抱えるなど、過剰債務と不良債権が深刻な状態が続き、さらに、小泉政権下で不良債権処理問題が経済再生の大きな課題としてクローズアップされ、債務免除を受けたゼネコンに対する見方は厳しさを増していた。こうした中、同じく債務免除を受けていた中堅ゼネコンの(株)青木建設が2001年12月6日に民事再生法を申請したことから、直後には当社の株価も16円まで暴落するなど、当社に対する信用不安は増幅し受注は大幅に低下していた。また、同じく過大な有利子負債を抱えていた(株)フジタが会社分割し、三井建設・住友建設の経営統合に合流する方針を明らかにするなど、建設業界の再編淘汰が加速、当社の動向も注目されていたが、メーンバンクの第一勧銀、北陸銀行の支援も限界となり今回の法的措置となった。負債は約4499億円。なお上場ゼネコンの倒産は、(株)青木建設(負債3900億100万円、東京、2001年12月民事再生法)に続いて通算8社目で、債務免除を受けたゼネコンの倒産も、青木建設に次いで2社目。また、今年に入っての上場企業の倒産は、イズミ工業(株)(負債305億8100万円、埼玉、2月民事再生法)に次いで9社目。