2001年09月
2001年09月27日
(株)はるやまチェーン
市場 | 店頭 |
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コード | 7529 |
発行株数 | |
単位株数 | 100 |
倒産時株価 | 66 |
廃止時株価 | |
倒産日 | '01.09.27 |
廃止日 | |
負債 | 12,816百万円 |
資本金 | 1,258,600千円 |
所在地 | 北海道 |
態様 | 民事再生法 |
メモ/記事引用
店頭上場で紳士服の小売を手がける(株)はるやまチェーン(資本金12億5860万円、北海道札幌市豊平区平岸2条9-3-15、治山三男社長、従業員300人)は、9月27日に札幌地裁へ民事再生手続き開始を申請した。申請代理人は田中宏弁護士(北海道札幌市中央区南1条西10丁目、電話011-290-2565)。同社は、1970年(昭和45年)9月創業、72年(昭和47年)4月に設立された紳士服の小売業者。「紳士服のはるやま」の店舗名で道内一円のほか、東北・関東・甲信越地区での多店舗展開による営業を手がけていた。スーツ・コート・礼服などの紳士服を主体に、ジャケット・カジュアル用品などの幅広いアイテムをリーズナブルな価格で取り揃え、一般顧客を対象とした店頭販売を行い、96年3月期には年売上高約195億3300万円を計上していた。96年12月には株式の店頭上場を行うことで資金調達の間口を拡げてきた。しかし、景気低迷の長期化による個人消費の落ち込みに加えて、同業者間の販売競争の激化、販売単価の伸び悩みなどから売り上げに伸びは見られず、98年3月期以降、売り上げは4期連続して前年を下回る水準が続き、2期連続の欠損計上を余儀なくされていた。こうしたなか、店舗のスクラップアンドビルドにより収益の確保を目指すほか、今年に入ってからはより低価格帯のスーツの販売を手がける新業態店舗「エフ・ユニット」の展開を開始したが、業績の回復は遅れ、先行きの見通しも立たないことから、今回の措置となった。負債は約128億1600万円。なお、今年に入ってからの上場会社の倒産は(株)マイカル(負債1兆3881億円、大阪府、9月、民事再生)に続いて7社目となった。また、店頭上場会社の倒産は99年10月の(株)ピコイ(負債98億8700万円、新潟県、和議)以来、1年11ヵ月ぶりの発生となり、通算では24社目となる。
2001年09月14日
(株)マイカル
市場 | 東、大 |
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コード | 8269 |
発行株数 | |
単位株数 | 1000 |
倒産時株価 | 53 |
廃止時株価 | 1 |
倒産日 | '01.09.14 |
廃止日 | |
負債 | 1,388,164百万円 |
資本金 | 74,024,460千円 |
所在地 | 大阪府 |
態様 | 民事再生法→会社更生法 |
メモ/記事引用
東証1部ほかに上場する大手総合スーパー、(株)マイカル(資本金740億2446万5000円、大阪市中央区淡路町2-2-9、四方修(しかた おさむ)社長、従業員5877人)は、9月14日に東京地裁へ民事再生手続き開始を申請した。事件番号は平成13年(再)204号。申請代理人は江尻隆弁護士(東京都港区赤坂2-11-7、電話03-3505-1072)。同社は、1947年(昭和22年)4月に内外商事(株)の商号で設立しその後休眠、別途1963年(昭和38年)11月設立した(株)ニチイと1970年(昭和45年)9月に合併し、1996年(平成8年)7月、現在の(株)マイカルに商号変更した。実質的には1963年(昭和38年)11月に(株)セルフハトヤ、(株)岡本商店、(株)ヤマト小林商店、(株)エルピスの4社新設合併により設立されたものが母体である。以降30数社を吸収合併する一方で、1974年(昭和49年)に大証2部へ上場、1975年(昭和50年)には東証2部、1976年(昭和51年)には東証、大証、名証で1部上場を果たし、連結子会社63社、非連結子会社23社、関連会社21社(2001年2月末)のマイカルグループを形成、2001年2月期には連結年売上高約1兆7226億6000万円、単体年売上高1兆506億2300万円を計上していた。ダイエー、イオン(旧・ジャスコ)、イトーヨーカ堂に続く総合小売業第4位の規模を誇り、郊外型生活百貨店を目指した「サティ」、都市型衣料専門店を目指した「ビブレ」、食品館の「ポロロッカ」の3形態での展開を進めていた。その後複合大型店「マイカルタウン」の展開に着手、89年に1号店となる「MYCAL本牧」を皮切りに95年「MYCAL桑名」、97年「MYCAL明石」、98年には海外初の「MYCAL大連」などの積極的な出店に傾注し総店舗数128店舗(2001年2月末)、売場面積約150万㎡に達していた。これらの開発はマイカル総合開発、マイカル協友などのデベロッパー子会社にて手掛け、資金調達は金融子会社マイカルファイナンス(2001年2月マイカルに吸収合併)にて行うほか、地方ではマイカル北海道、マイカル東北、マイカル九州、ダックビブレなど物販もグループ化し、婦人、ファッション衣料、スポーツ用品小売もカテゴリー法人としてマイカル店舗内でインショップ展開していた。こうしたグループの拡大、多角化に伴い連結ベースで有利子債務が約1兆1600億円にまで膨らむ一方、個人消費の冷え込みから売り上げの伸び悩みや収益性の低迷に見舞われてきた。このため99年10月、拡大政策をとった小林敏峯会長(故人)が辞任し、経営体制の見直しに着手。有利子債務の削減などを盛り込んだ「5ヶ年経営計画」を策定し再建に着手したものの、経営悪化に歯止めが掛からず、後を継いだ宇都宮社長の退任問題まで発展した。今年1月24日付けで新中期三ヶ年経営計画「チャレンジングマイカル改革プラン」を策定するとともに経営陣を刷新。元大阪府警本部長でグループ会社ジャパンメンテナンス社長の四方修氏を代表取締役社長に招聘し、2004年2月期までに有利子債務を7500億円にまで削減することを骨子とした再建に乗り出し、赤字店舗の削減、1700人の希望退職、グループ企業の再編を進めてきた。新体制となった第一四半期は(株)ピープル(現・コナミスポーツ)やマイカルカード(株)の株式を売却したものの、経営改善がもたつく間に、R&I(格付投資情報センター)が社債等の格付を引き下げたことも影響し、不動産の売却、社債の発行計画が頓挫。このため8月中間期末までの削減を公約していた有利子債務9100億円の達成が厳しい状況となり、新たな再建計画の策定が要求されるに事態となったものの、抜本的な解決策を公表できない状況が取引先の信用不安を招く結果となり、株価は100円を大きく割り込むなど取引先に動揺が広まっていた。近時は商品の仕入れにも支障をきたす状況が続き、また決済条件の変更等で資金需要は膨らみ、8月15日にはメーンバンクから約500億円のつなぎ融資を受け乗り切っていた。しかし、中間決算の業績発表で収支が予想外に悪化し、下位の金融機関の資金回収に歯止めが掛からず、資金調達も限界に達し今回の措置に至った。負債は2001年2月期末で保証債務ほかを含み約1兆5482億円。なお、今年に入ってからの上場会社の倒産は(株)冨士工(負債831億7100万円、東京、3月民事再生法)に続いて6社目、負債額では東京生命保険(相)(負債9802億円、東京、3月更生特例法)を抜いて今年最大規模の倒産で、戦後の大型倒産では4番目の負債規模となる。