2011年04月21日

トラステックスホールディングス(株)

市場大2
コード9374
発行株数88,039,014
単位株数10
倒産時株価廃止後倒産
廃止時株価1
倒産日
廃止日11.04.21

メモ/記事引用
「東京」 タイガー管理(株)(資本金1億円、東京都足立区千住1-4-1、代表清算人:齋藤正継氏)は、4月11日に東京地裁へ自己破産を申請し、同月12日に破産手続き開始決定を受けた。破産管財人は、巻之内茂弁護士(千代田区麹町2-4、電話03-5212-7411)。債権届出期間は5月17日までで、財産状況報告集会期日は7月13日午後1時30分。当社は、1949年(昭和24年)9月に設立。その後、休眠していたが、96年8月に旧:軽貨急配(株)(84年創業、87年12月法人改組)に買収され、商号を軽貨急配(株)に変更した。創業以来「トラックを持たない運送会社」として個人事業主を募集し、個人事業主に独自仕様の軽トラックを販売した上で配送業務の委託契約を締結。グループ会社の設立や、M&Aで企業規模を拡大。2000年10月には大証2部に上場し、ピークとなる2006年3月期の年収入高は約378億7700万円を計上していた。しかし、個人事業主の軽トラック購入に係る割賦債務が滞り、信販会社等に対して債務保証していたことから、長期未収入金や破産更生債権が発生し、財務内容が毀損。自己資本拡充のため、下方転換価額修正付き転換社債(MSCB)を相次いで発行。2007年4月にトラステックスホールディングス(株)に商号変更し、当社は純粋持株会社に移行して、軽貨物運送事業は会社分割した新:軽貨急配(株)に移管していた。その後、2008年7月には過去に不適切な会計処理が行われていたことが発覚。同年10月に大証の監理ポストに入り、翌2009年2月には上場廃止となっていた。今年2月には、新:軽貨急配(株)等の全株式を売却。3月31日に株主総会の決議により解散し、大阪府門真市より現住所に移転し、現商号に変更。今回の措置となった。負債は、保証債務の約15億6000万円を含め、約19億3000万円。


2011年04月06日

オープンインタフェース(株)

市場ヘラクレス
コード4302
発行株数482,074
単位株数1
倒産時株価廃止後倒産
廃止時株価92
倒産日
廃止日11.04.06

メモ/記事引用
「東京」 元・大証ヘラクレス上場のオープンインタフェース(株)(資本金15億9654万6462円、港区芝3-31-2、代表柴田隆人氏)は、3月31日に東京地裁より破産手続き開始決定受けた。破産管財人は安藤信彦弁護士(千代田区永田町2-14-3、電話03-3597-7700)。債権届け出期間は5月6日までで、財産状況報告集会期日は6月28日午後2時30分。当社は、1992年(平成4年)10月に、「AX協議会」(日本語AT互換パソコンの啓蒙団体)の理事会社が中心となって、大手電子部品メーカーなどの出資で設立された。従来は、パソコンや周辺機器の互換テストサービスが主業だったが、その後はインターネットのウェブサーバーシステム、通信制御ソフトなどソフトウェアの受託開発を主業とするようになっていた。2001年9月には株式を大証ナスダック・ジャパン(当時)市場に上場し業容を拡大、2003年3月期には連結売上高約22億3400万円をあげていた。しかし、応用ソフトウェア開発事業で大型受託案件が確保できず、また自社開発のソフトウェアの販売不振などから、2004年3月期の連結売上高は約10億5600万円と大幅に落ち込み、多額の特別損失を計上したことから当期損失約35億8100万円を計上し、約12億4800万円の債務超過に転落。一時は、ヘラクレス市場の時価総額による上場廃止基準に抵触していた。こうしたなか、これまで行ってきた応用ソフトウェア部門を閉鎖し、近距離無線通信・ユビキタス環境構築に関わるテスティング分野へ経営資源をシフトするなど、事業の再構築で立て直しを図っていたが、これら業績悪化、業態の路線変更を理由に、継続企業の前提の注記がなされていた。そこで、債務超過の解消を目的に、社債発行で資金を調達し、M&Aに積極的に取り組むなどして、2006年3月期の連結売上高は約64億3100万円を計上していた。しかし、売り上げこそ確保したものの収益回復には結びつかず赤字は拡大、この間、子会社売却や不動産処分などリストラを進め、2009年3月期には連結売上高約11億9800万円、当期損失約30億2500万円を計上し、再び債務超過に転落。時価総額基準に抵触したことから2009年9月に上場廃止となっていた。その後、ITサービスに回帰し同時にリストラを進めていたが業績は回復せず、債権者への返済も計画通りに進まないなか、2010年12月に債権者から破産を申し立てられていた。負債は推定30億円。


2011年01月25日

中小企業信用機構(株)

市場ジャスダック
コード8489
発行株数18,046,600
単位株数100
倒産時株価112
廃止時株価1
倒産日
廃止日11.01.25

メモ/記事引用
「東京」 ジャスダック上場で保証業務を主力に、手形割引、保証人付き無担保貸付および有担保貸付業務を手がける中小企業信用機構(株)(資本金14億2638万7000円、墨田区両国1-10-7、代表田中謙吏氏、従業員39名)は、1月25日に東京地裁へ民事再生法の適用を申請し、同日、監督命令と保全命令を受けた。申請代理人は、加藤寛史弁護士(中央区八重洲2-8-7 、電話03-3273-2600)ほか7名。監督委員は、渡邊顯弁護士(港区虎ノ門4-3-1 、電話03-5405-4080)が選任されている。当社は、1972年(昭和47年)5月創業、74年(昭和49年)3月に法人改組。北九州市に本店を置く事業者向け貸金業者として、九州地区を中心に中国地区にも店舗を展開。99年10月に日本証券業協会(現・ジャスダック証券取引所)に株式を店頭登録し、翌2000年3月期の年収入高は約20億4700万円を計上していた。その後は、景気低迷による資金需要の減少などから収入は落ち込み、2005年3月期の年収入高は約12億8600万円にとどまり、同年12月に(株)ニッシン(現・NISグループ(株))によるTOB(株式公開買付)により、同社の連結子会社となってリストラや業務提携を推進。不動産担保ローンで収入を伸ばし、2007年3月期の年収入高は約24億9300万円を計上していた。貸倒れ関連費用や利息返還関連費用などから2006年3月期より2008年8月期(同期より決算期変更)までの4期連続で当期純損失を計上。2007年12月施行の改正貸金業法の影響もあり事業の再構築を図るため、2008年3月に日本振興銀行などからの出資を得て、4月に保証事業を本格稼動して融資事業から保証事業へ転換。7月1日に(株)アプレックより現商号へ変更し、中小企業振興ネットワークに加盟していた。しかし、当社の保証事業における主な保証受託先である日本振興銀行が、2010年5月に金融庁より行政処分を受け、その後9月10日に民事再生法の適用を申請。同行株式9375株(簿価18億5360万円)を保有していたため、株式100%の評価減の実行により、2010年8月期末の決算で債務超過に陥ることとなった。債務超過を解消すべく、第三者割当増資を検討するなど資本政策を進めていたものの、実現に至らず、今回の措置となった。負債は2010年8月末時点で約90億300万円。なお、1月27日午後2時から、財団法人日本教育会館(一橋ホール)にて、債権者説明会が開催される予定。2011年に入ってからの上場企業の倒産は初めて。日本振興銀行関連では、(株)ラ・パルレ(10月、民事再生法)、中小企業保証機構(株)(10月、民事再生法)、カーフートライテック(株)(1月、破産)に続いて4社目。


2010年12月28日

シルバー精工(株)

市場東1
コード6453
発行株数536,646,036
単位株数1000
倒産時株価4
廃止時株価1
倒産日
廃止日10.12.28

メモ/記事引用
「東京」 東証1部上場で各種プリンタなどの情報機器、編み機製造などを手がけるシルバー精工(株)(資本金175億511万2967円、新宿区上落合2-28-7、代表嶋田彰氏、従業員49人)は、12月28日付で銀行取引停止処分を受けた。当社は、1952年(昭和27年)10月に編機械製造を目的として丸越編物機械(株)の商号で設立され、55年5月にシルバー編機製造(株)へ商号を変更。編物・織物機器、および同部品の製造販売を手がけ、64年3月に東証2部へ上場。66年4月には多角化の一環として事務機器部門にも進出して欧文タイプライターの製造を開始、67年6月に現商号へ変更、84年9月に東証1部へ上場を果たしていた。代理店を通じた国内販売のほか、アジア・アフリカ地域への輸出もおこない、91年3月期には年売上高約140億7600万円を計上していたが、その後の需要減退に見舞われ売り上げは減少。このため、近年は取り扱いをカラープリンタなどの情報機器、掃除機などの家庭機器へシフト、2010年3月期には単体ベースの年売上高は約19億5700万円、最終損失は約20億9700万円、連結決算の年売上高も約34億4700万円に落ち込み、最終損失約19億7700万円の連続赤字を計上していた。2011年3月期の第2四半期決算でも営業損失、四半期純損失から「継続企業の前提に関する」注記が記載されるなど、各事業の苦戦から経営難が続き12月16日、12月22日に相次いで不渡りを出していた。負債は2010年3月末時点で約15億7800万円。なお、営業は継続中。
 

11.09.29続報
「東京」 既報、元・東証1部上場で各種プリンタなどの情報機器、編み機等製造のシルバー精工(株)(資本金175億511万2967円、中央区日本橋小網町18-11、登記面:新宿区上落合2-28-7、代表嶋田彰氏)は、9月27日に東京地裁へ民事再生法の適用を申請し、同日受理された。 

 申請代理人は鈴江辰男弁護士(中央区京橋1-1-1、電話03-3517-6885)ほか2名。監督委員には大川康平弁護士(中央区八重洲1-7-15、電話03-3274-2571)が選任されている。 

 当社は、1952年(昭和27年)10月に編機械製造を目的に丸越編物機械(株)の商号で設立。55年5月にシルバー編機製造(株)へ商号を変更し、ミシンなど編物・織物機器および同部品の製造販売を手がけ、64年3月に東証2部へ上場。66年4月には事務機器部門にも進出して欧文タイプライターの製造を開始。67年6月に現商号へ変更したのち、84年9月東証1部へ上場を果たしていた。代理店を通じた国内販売のほか輸出もおこない、91年3月期の年売上高は約140億7600万円を計上していた。 

 しかし、その後はミシンへの需要が減退し、カラープリンタなどの情報機器や掃除機などの家庭機器の製造に注力していたものの、94年3月期から最終欠損が続き、2010年3月期も単体ベースの年売上高は約19億5700万円、最終損失は約20億9700万円、連結決算の年売上高も約34億4700万円に落ち込み、最終損失約19億7700万円を計上していた。このため、私募CBを中心とした資金調達に頼るようになっていた。さらに証券市場が低迷するなか、手形を担保とする資金調達をおこなっていたところ2010年12月16日、同月22日に不渡りを出し、同月28日には銀行取引停止処分を受け、2011年1月29日には上場廃止となっていた。負債は約12億7226万円。なお、債権者説明会を、第一東京弁護士会講堂(東京都千代田区霞が関1-1-3弁護士会館11階)で10月4日午前10時から12時まで行う予定。 


 12.01.06続報
 「東京」 既報、2011年9月27日に東京地裁へ民事再生法の適用を申請した元東証1部上場で各種プリンタなどの情報機器、編み機等製造のシルバー精工(株)(資本金175億511万2967円、中央区日本橋小網町18-11、登記面=東京都新宿区上落合2-28-7、代表嶋田彰氏)は、12月27日に再生手続き廃止が決定確定し、同日、破産手続き開始決定を受けた。破産管財人には、監督委員の大川康平弁護士(中央区八重洲1-7-15、電話03-3274-2571)が選任されている。当社は、1952年(昭和27年)10月に編機械製造を目的に丸越編物機械(株)の商号で設立。55年5月にシルバー編機製造(株)へ商号を変更し、ミシンなど編物・織物機器および同部品の製造販売を手がけ、64年3月に東証2部へ上場。66年4月には事務機器部門にも進出して欧文タイプライターの製造を開始。67年6月に現商号へ変更したのち、84年9月東証1部へ上場を果たしていた。代理店を通じた国内販売のほか輸出もおこない、91年3月期の年売上高は約140億7600万円を計上していた。しかし、その後はミシンへの需要が減退し、カラープリンタなどの情報機器や掃除機などの家庭機器の製造に注力していたものの、94年3月期から最終欠損が続き、2010年3月期も単体ベースの年売上高は約19億5700万円、最終損失は約20億9700万円、連結決算の年売上高も約34億4700万円に落ち込み、最終損失約19億7700万円を計上していた。このため、私募CBを中心とした資金調達に頼るようになっていた。さらに証券市場が低迷するなか、手形を担保とする資金調達をおこなっていたところ2010年12月16日、同月22日に不渡りを出し、同月28日には銀行取引停止処分を受け、2011年1月29日には上場廃止となっていた。負債は、約12億958万円。


2010年10月20日

TCBホールディングス(株)

市場マザーズ
コード2356
発行株数16,868
単位株数1
倒産時株価33300
廃止時株価208
倒産日
廃止日10.10.20

メモ/記事引用
「東京」 TCBホールディングス(株)(資本金6億628万2066円、渋谷区道玄坂2-6-17、代表大嶽貞夫氏)は、10月20日、東京地裁へ自己破産を申請し、同日破産手続き開始決定を受けた。申請代理人は、南賢一弁護士(港区赤坂1-12-32 、電話03-5562-8500)他5名。破産管財人には、蒲野宏之弁護士(千代田区内幸町1-1-7 、電話03-3539-1371)が選任されている。当社は、1996年(平成8年)7月設立の持株会社。大手商社のインターネット関連部署を母体として設立、同商社からECビジネス事業の譲渡を受けるなどして、2003年3月には東証マザーズに上場。翌2004年3月には、同商社が持株の一部を大手情報会社に売却し、同商社の子会社ではなくなっていた。2006年10月にTCBテクノロジーズ(株)に商号変更し、WEBインフラ事業などを中心に2007年3月期の年収入高は約13億2800万円を計上していた。2009年8月に2社を買収し、2009年9月に既存事業を会社分割による新設子会社に譲渡し、持ち株会社に改組したうえで、現商号に変更していた。しかし、2008年3月期まで4期連続で最終欠損が続き、財務体質は脆弱だったところへ、2009年8月に買収した2社の買収資金が負担となり、持株会社への移行にともなう新オフィスへの移転費用や賃料増加も資金繰りを圧迫、今回の措置となった。負債は、9月末時点で約2億5823万円。


2010年10月05日

(株)ラ・パルレ

市場ヘラクレス
コード4357
発行株数491,781
単位株数1
倒産時株価1982
廃止時株価79
倒産日
廃止日10.10.05

メモ/記事引用
TDB企業コード:420219244「東京」 (株)ラ・パルレ(資本金32億2631万1144円、新宿区歌舞伎町1-1-17 、登記面:千代田区外神田1-2-12、代表佐谷聡太氏、従業員298名)は、10月5日に東京地裁へ民事再生法の適用を申請し、同日、保全処分命令と監督命令が下りた。申請代理人は、高井章光弁護士(千代田区有楽町1-5-1、電話03-3519-7800)ほか3名、監督委員は厚井乃武夫弁護士(千代田区神田須田町1-16 、電話03-3256-8434)が選任されている。当社は、1978年(昭和53年) 4月に静岡県でエステティックサロン「パルコ」の名称で創業。後に、多店舗化に伴いクリエイティブヨーコ(株)の商号で法人化していたが、90年(平成2年)9月に(株)アクティブの名称で設立していた当社が95年11月にクリエイティブヨーコ(株)を吸収合併し、店舗名を「ラ・パルレ」に統一した。99年6月に現商号に変更し、2002年5月にはナスダック(現:大証ヘラクレス)に上場。エステ業界唯一の上場企業として、首都圏を中心に主に20歳代~50歳代の女性向けにエステティックサロンを展開し、2007年3月期には95店舗を擁し、有名女性モデルを起用した広告を大量に打ち、連結ベースでの年売上高は約171億1500万円、単体ベースで約140億6500万円を計上していた。しかし、特定商取引法や割賦販売法改正の流れを受け、信販会社がエステユーザーへの与信を厳格化したため、クレジット利用が約70%にもなる当社の顧客も大幅に減少し、2008年2月に実質創業者が引責辞任。さらに3月になると、東京都が誤解を招く効果をうたい高額な契約を結ばせていたとして、特定商取引法に基づき都内17店舗の3ヵ月間の一部業務を停止。このため、2008年3月期には赤字に転落していた。不採算店舗の閉鎖・統廃合や買収したばかりの子会社2社の売却、本社移転などのリストラを進めていたが、2008年5月27日には会計監査人が5月30日返済期限の借入金20億円の返済原資が充分確保されていないとして、監査意見不表明をリリース、急速に信用状態が悪化していた。このため、2008年7月と2009年4月、2010年6月と相次いで第三者割当増資による資本増強を実施。日本振興銀行(株)が主催する中小企業振興ネットワークにも参加していたが、今年9月10日に日本振興銀行(株)が民事再生法の適用を申請したことにより、同行株1000株を100%評価減することにより、2011年3月期第2四半期決算において3億3500万円の特別損失を計上することで債務超過に陥る可能性にあった。負債は約27億円の見込み。


2010年10月01日

大和システム(株)

市場東2
コード8939
発行株数10,311,000
単位株数100
倒産時株価121
廃止時株価1
倒産日
廃止日10.10.01

メモ/記事引用
「大阪」 大和システム(株)(資本金32億4072万5000円、大阪市中央区西心斎橋2-2-3、代表広本和彦氏、従業員180名)は、10月1日に大阪地裁へ民事再生法の適用を申請、同日保全命令を受けた。申請代理人は中森亘弁護士(大阪市中央区北浜1-8-16、電話06-6202-9527 )。監督委員には出水順弁護士(大阪市北区西天満4-7-1、電話06-6365-7770)が選任されている。当社は、1960年(昭和35年)6月の設立。もともと大和ハウス工業(株)の連結子会社であり、現在も当社の筆頭株主(議決権比率12.01%)であるが、2005年4月の東証2部(2006年11月東証1部に指定替え)上場を機に大和ハウスグループから独立した。96年10月に分譲マンション「ディアステージ」シリーズの販売を開始、その後、98年7月に温浴事業に乗り出し、99年3月「八千代やまとの湯」(千葉)をオープン。2005年4月には、不動産事業、建築事業、温浴事業の3事業体制を確立した。2007年3月期にはピークとなる年売上高約595億3700万円を計上していた。しかし、2008年9月のリーマン・ショック以降の金融経済情勢・不動産市況の大幅な悪化を受け、マンション分譲事業において販売計画の大幅な下振れ、共同事業先の破綻による計画の大幅な修正・遅延が発生した。また、投資家向け収益物件開発事業において、物件引受先のキャンセルによる自社保有物件の増加などから、多額の棚卸資産がバランスシートに滞留したため、財務状況の改善を図るため、2009年4月に全取引金融機関に対して借入金返済スケジュールの変更等を要請し、同年9月には、全取引金融機関との間で債権者間協定を締結。並行して、棚卸資産の圧縮、希望退職による人員削減など経営改善に向けた対策を講じてきたが、保有不動産にかかる多額の評価損の計上などから、2010年3月期(連結)に約242億円の債務超過となった。このため、取引金融機関に対して金融支援を要請すべく、6月には事業再生実務家協会にADRを申請したが、6月29日には東証2部へ指定替えとなっていた。以降、第1回債権者会議で、約250億円の金融支援(債務免除等)を骨子とする事業再生計画案を提示した上、同年6月下旬よりスポンサーの選定手続を実施し、選定手続には数社の参加を受けたが、8月下旬、結果として1社のみが残るかたちとなり、同候補者とスポンサー支援について協議を行ってきた。しかし、候補者から、最終的にスポンサー支援を断念するとの申入れを受けるに至り、スポンサー支援を前提としない事業再生計画案を検討したが、事業再構築へ向けた動きが長期化する中、スポンサーの支援を受けられない状況のもと、遂行可能性があり取引金融機関全員の同意を得られる見込みのある事業再生計画案を策定することは極めて困難との判断に至り、事業再生ADR手続を終了することを申入れ、民事再生法の適用を申請した。負債は約633億円。


2010年09月28日

(株)武富士

市場東1
コード8564
発行株数144,295,200
単位株数10
倒産時株価171
廃止時株価1
倒産日
廃止日10.09.28

メモ/記事引用
「東京」 消費者金融大手4社の1角、(株)武富士(資本金304億7790万円、新宿区西新宿8-15-1、代表吉田純一氏、従業員2103名)は、9月28日に東京地裁へ会社更生法の適用を申請し、保全管理人に小畑英一弁護士(千代田区九段北4-1-3、連絡先電話0120-390-302<武富士内コールセンター>)が選任された。当社は、1968年(昭和43年)6月設立の消費者金融業者。創業者の武井保雄氏の経営手腕のもと、順調に業容を拡大。77年12月に株式の額面変更のため51年3月設立の会社に吸収合併させ、96年8月には株式を店頭公開し98年には東証1部に指定替えになった。この間、95年に投入した無人契約機「¥enむすび」により利用者数が増加、長らく消費者金融業界のトップ企業として君臨し、2002年3月期には融資残高約1兆7667億円、年収入高約4232億4600万円を計上していた。しかし、2003年12月には、代表取締役会長(当時)の武井保雄氏が「ジャーナリスト盗聴事件」で逮捕される事態が発生し、同氏が会長職を辞任する事態に発展。本業面においても2004年3月期には営業貸付残高トップの地位をアコムに奪われたほか、延滞債権、不良債権の増加を背景に貸出先を絞り込んだことで、近年は店舗数、無人契約機台数ともに減少を余儀なくされていた。加えて、日本貸金業協会が策定した自主規制ルールに基づき社内規定の整備を実施、貸出金上限金利の引き下げや総量規制の影響から、2008年3月期の年収入高は約2694億5200万円に落ち込んでいた。翌2009年3月期においても貸金業法の完全施行を控え、与信基準の厳格化を図るほか、店舗の統廃合を実施した結果、営業貸付残高は8615億円(前期比27.9%減少)にまで減少、年収入高約1854億4300万円に対し、利息返還損失引当金を大幅に積み増したことで約2157億4000万円の経常損失を余儀なくされていた。過払い金返還請求の高止まりをはじめ厳しい業界環境が続くなか、格付け会社が当社の格付けを引き下げたことなどもあり、資金繰り面を含め動向が注目されていた。また、2018年満期ユーロ円建転換社債型新株予約権付社債について繰上償還請求問題を抱えていたため、これに対応すべく社債権者に対し、現金のみ、または現金および2011年満期ユーロ円建普通社債の組み合わせを対価とした交換募集を実施し、負担軽減を図るなどしてしのいでいた。2010年3月期は営業貸付金残高が対前期末比3割減の約5894億円に落ち込んだことで、年収入高は約1194億300万円にまでダウンしていた。負債は2010年6月末時点で約4336億800万円。但し、過払い金返還請求の状況によっては膨らむ可能性がある。負債規模は、(株)日本航空(負債6715億7800万円)に次いで今年4番目の規模となる。


2010年08月23日

(株)プログレスインターナショナル

市場グリーンシート
コード3162
発行株数4,477,000
単位株数1
倒産時株価130000(ケ)
廃止時株価
倒産日
廃止日10.08.23

メモ/記事引用


(株)アーム電子

市場ジャスダック
コード6671
発行株数4,477,000
単位株数100
倒産時株価82
廃止時株価1
倒産日
廃止日10.08.23

メモ/記事引用
「東京」 ジャスダック上場の(株)アーム電子(資本金10億6647万円、八王子市叶谷町1055、代表佐藤雅美氏、従業員200名)は、8月23日に東京地裁へ民事再生法の適用を申請し、同日、監督命令を受けた。申請代理人は宮川勝之弁護士など4名(千代田区丸の内3-3-1、電話03-3213-1081)。監督委員には渡辺昭典弁護士(港区虎ノ門4-3-1、03-5408-6160)が選任されている。当社は、1980年(昭和55年)6月に設立されたプリント基板製造業者。家電メーカー発注の試作用基板の設計・製造に特化し、設計から加工、出荷まで全て自社で手がける体制を構築して“少量・多品種・短納期”を実現させてニーズに対応し、大手家電メーカー、電子機器メーカーを主体に約900社の得意先を抱え、2004年4月にジャスダックへ上場を果たしていた。その後も積極的な設備投資やM&Aを行い生産体制の充実を図るほか、一括仕入や内製化などのシナジー効果を出し、2008年5月期にはピークとなる年売上高約41億4000万円を計上していた。しかし、同期において連結ベースでは減収を強いられ、3期連続の最終赤字に陥っていたうえ、2008年後半以降の急激な半導体市況の低迷を背景に、翌2009年5月期の年売上高は前期比29%減の29億2900万円に落ち込み、営業損失を計上、営業キャッシュフローも大幅なマイナスを余儀なくされていた。このため、金融機関に対して返済条件の変更を行い、同期の有価証券報告書において「継続企業の前提に関する注記」、いわゆるゴーイングコンサーンが記載されていた。こうしたなか、2010年2月に連結子会社における不正経理が判明し、過年度連結決算の修正を行ったものの、2010年5月期決算開示に至らなかった。対外信用も低下していたことで、受注の更なる落ち込みを招き資金繰りがひっ迫、自主再建を断念した。今後はスポンサーの募集・選定を行い、再生を目指す。なお、子会社の(株)ダイヤテック(資本金2億円、埼玉県所沢市城673、同代表、従業員89名)は、同日、東京地裁へ自己破産を申請し、破産手続き開始決定を受けている。負債はアーム電子が債権者約179名に対し約62億円、ダイヤテックが債権者約158名に対し約34億円。

11.02.17続報
「東京」 既報、元ジャスダック上場で2010年8月23日に東京地裁へ民事再生法の適用を申請し、8月27日に再生手続き開始決定を受けていた(株)アーム電子(資本金10億6647万円、八王子市叶谷町1055、代表佐藤雅美氏)は、2011年2月15日に再生手続きの廃止決定を受け、同時に保全管理命令を受けた。今後は保全管理人に選任された渡辺昭典弁護士(港区虎ノ門4-3-1、電話03-5408-6160)の管理のもとに清算をすすめ、3月中旬には破産手続きに移行することになった。当社は、1980年(昭和55年)6月に設立されたプリント基板製造業者。家電メーカー発注の試作用基板の設計・製造に特化し、設計から加工、出荷まで全て自社で手がける体制を構築して“少量・多品種・短納期”を実現させてニーズに対応し、大手家電メーカー、電子機器メーカーを主体に約900社の得意先を抱え、2004年4月にジャスダックへ上場を果たし、2008年5月期にはピークとなる年売上高約41億4000万円を計上していた。しかし、同期において連結ベースでは減収を強いられ、3期連続の最終赤字に陥っていたうえ、2008年後半以降の急激な半導体市況の低迷を背景に、翌2009年5月期の年売上高は前期比29%減の29億2900万円に落ち込み、営業損失を計上、営業キャッシュフローも大幅なマイナスを余儀なくされていた。こうしたなか、2010年2月に連結子会社における不正経理が判明し、過年度連結決算の修正を行ったものの、2010年5月期決算開示に至らず、更なる売り上げの落ち込みを招き資金繰りがひっ迫していた。9月24日には上場廃止となり、11月19日付けで(株)アイビス・キャピタル・パートナーズ(千代田区有楽町)及び林純一氏を支援者に選定し、業務・金融支援契約を締結。2011年1月26日には債権者集会が開催され再生計画案に対して頭数要件では過半数の同意を得られたものの、金額要件では2分の1の議決権額の同意を得られず、再度決議を行うことを検討していたが、担保不動産の評価に対する乖離は大きく、今後の不動産担保者との協議継続も困難が予想されたことから、最終的に再建を断念した。申請時の負債額は約61億9920万円。なお、子会社の(株)ダイヤテック(資本金2億円、埼玉県所沢市城673、同代表、従業員89名)は、2010年8月23日に東京地裁へ自己破産を申請し、破産手続き開始決定を受けている。