2001年08月01日

サワコー・コーポレーション

サワコーコーポレーション

市場店頭、ナスダック
コード 
発行株数 
単位株数100
倒産時株価
廃止時株価 
倒産日'01.08.01
廃止日 
負債1,971百万円
資本金
813,871千円
所在地
愛知県
態様
民事再生法

メモ/記事引用
店頭市場および米国ナスダックに上場していた(株)サワコー・コーポレーション(資本金8億1387万1000円、愛知県名古屋市千種区仲田2-15-8、大平純市社長、従業員107人)は、8月1日に名古屋地裁へ民事再生手続き開始を申請し、同日保全命令を受けた。申請代理人は渡邉一平弁護士(名古屋市中区丸の内2-8-11、電話052-221-1313)。同社は、1990年5月設立の総合建築工事業者で、上場準備(株の額面変更)のため大平社長が事前に買収していた(株)サワコーサービス(1969年(昭和44年)12月設立)と92年8月に合併し、サワコーサービスを存続会社として現商号に変更した。東海地区を主要地盤とする総合建設工事会社で、土地の有効利用を指向する地主向けの賃貸用建物を主体に取り扱っていた。建築部材、設備を共通化し大量購入する手法で業礎を築き、95年7月期には年売上高約120億9100万円を計上、また、95年6月には店頭公開を果したほか、96年5月には店頭上場企業としては初めて米国店頭株市場ナスダックに株式を上場するなど注目を集めていた。賃貸用マンション「ミリアーゼ」のほかローコスト工法の事務所ビル建築「バレンティア」シリーズを発表し、また、ホテルや店舗建物なども手掛け、98年同期の年売上高は約224億4800万円にまで伸長していた。しかし、その後は業界環境の低迷から未収金の増加や回収の長期化が発生するなど資金繰りは悪化。このため受注工事の選別を行い、99年期には手持ち工事約365億7400万円のうち53.8%にあたる約196億6700万円をカット、この結果、99年同期の年売上高は約135億8900万円、翌2000年同期には年売上高が約108億5200万円にまで落ち込んでいた。また、2000年9月には24億円の社債償還があったことなどから、同年10月以降は下請工事会社に対する支払方法を一部変更し分割払いにするなど余裕のない運営を余儀なくされていた。こうしたなか、2000年同期決算の有価証券報告書において、会計処理方法を巡り監査法人と意見の食い違いが発生、監査報告書の総合意見が「意見差し控え」のまま提出されたことで、同年11月には店頭登録取り消しとなったほか、ナスダックも上場廃止となっていた。加えて、2001年5月には連結子会社の(株)東京サワコー・コーポレーション(負債16億円、東京)が自己破産を申請したことで信用不安はさらに拡大、資金調達も限界に達し、ついに自主再建を断念した。負債は約20億円。


2001年03月23日

(株)冨士工

冨士工

市場東1、大1
コード 
発行株数 
単位株数1000
倒産時株価60
廃止時株価 
倒産日'01.03.23
廃止日 
負債83,171百万円
資本金
2,105,400千円
所在地
東京都
態様
民事再生法

メモ/記事引用
東証1部上場の中堅ゼネコン、(株)冨士工(資本金 21億540万3000円、東京都港区高輪2-21-46、田中智社長、従業員479人)は、3月23日に東京地裁へ民事再生手続き開始を申請した。申請代理人は、早川学弁護士(東京都千代田区丸の内1-1-2、電話03-5223-7748)。なお、監督委員には、清水直弁護士(東京都中央区八重洲2-2-12、電話03-5202-0585)が選任された。同社は1946年(昭和21年)8月に設立された総合建設業者。61年4月東証2部に上場を果たし、71年8月には東証1部、翌72年10月には大証1部に上場していた。とくに民間建築部門に強く、最近の事業ウェートは、建築工事76.5%、土木工事22.9%、不動産事業ほか0.6%の割合で、建築工事のなかでもマンション工事のウェートが65%を占めていた。バブル期には、旺盛な民間建設需要を背景に毎期増収を続け、ピーク時の93年3月期の年売上高は約616億2100万円を計上していた。また、ゴルフ場の開発事業にも進出し子会社が運営する形で、91年3月には「宮崎レイクサイドゴルフ倶楽部」をオープンするほか、95年5月には栃木県粟野町に約140億円を投じ、「八洲カントリークラブ」をオープンしていた。しかし、バブル崩壊後の建設市況の低迷から利益率は悪化していたうえ、ゴルフ場子会社3社への貸付金は156億円に上り財務面を圧迫、97年3月期時点での有利子負債は368億7800万円にまで膨らんでいた。このため、97年10月には経営改善計画をまとめ、貸付金のうち約30億円をメーンバンクのさくら銀行からゴルフ子会社への直接融資に切り換えることで本体の有利子負債の圧縮に努めるほか、利益率の改善、有利子負債の圧縮、保証債務の削減、経費圧縮を骨子とする5ヵ年計画を策定し、経営の改善を目指すほかアメリカからの全面撤退を決めていた。しかし、その後も受注は減少を続け99年3月期の年売上高は約448億3000万円にまで落ち込んでいたうえ、当期欠損計上を余儀なくされ無配に転落していた。また、2000年3月期決算からは従来まで1社だった連結子会社の適用範囲を15社に拡大し、ゴルフ場運営会社の(株)宮崎冨士工、(株)栃木冨士工などが加わった結果、連結ベースで123億3800万円の債務超過に陥っていた。このため、メーンバンクのさくら銀行を含めた金融機関と抜本的な再建計画の策定を目指し交渉を続けていたが、交渉は暗礁に乗り上げ合意には至らなかったうえ、今後、自力での連結債務超過の解消は困難であることから自主再建を断念し、今回の措置となった。負債は831億7100万円(割引、保証債務などを含む)。今年に入っての上場会社の倒産は、(株)ベターライフ(3月19日民事再生法申請、負債231億円、大阪府)に次いで5社目。また、上場ゼネコンの倒産は、日本国土開発(株)(98年12月更生法、負債4067億1700万円、東京都)以来2年3ヵ月ぶりで、通算では6社目となる。


2001年03月19日

(株)ベターライフ


市場大2
コード 
発行株数 
単位株数1000
倒産時株価330
廃止時株価 
倒産日'01.03.19
廃止日 
負債23,100百万円
資本金
1,051,600千円
所在地
大阪府
態様
民事再生法

メモ/記事引用
大証2部上場のホームセンター経営、(株)ベターライフ(資本金10億5160万円、大阪府堺市南清水町2-3-11、岩城彰久社長、従業員298人)は、3月19日に大阪地裁へ民事再生手続き開始を申請した。申請代理人は、近藤正昭弁護士(大阪市北区西天満4-4-18、電話06-6365-6631)。当社は、1973年(昭和48年)7月に(株)新イワキの商号で設立されたホームセンター経営会社で、82年4月に現商号の(株)ベターライフに商号変更していた。近時の売り上げウェートは、家庭用品(インテリア、家電、日用品など)=38%、DIY商品(木材、建材、園芸用品、工具、建築金物など)=31%、エンジョイ用品(カー用品、スポーツ用品、ペット用品など)=30%、テナント収入=1%で、住関連の総合企業として積極的に事業を展開して、97年12月には大証2部に上場を果たしていた。店舗展開では、スケールメリットを第一義に新規出店を積極的に行い、大阪府下に14店舗のほか、奈良、京都、徳島、福岡など8府県に合計34店舗(2001年1月末時点)を展開し、2000年3月期には年売上高約269億9800万円を計上していた。急激な店舗拡大による投資負担は重く収益性は悪化、加えて後発の同業者との競合激化で既存店の売り上げが低迷し、また新規店舗も売り上げが伸びず、2000年9月中間期の売上高は約127億6400万円(前年同期比6.3%減)にダウンし、子会社の整理損から中間純損失約6億2300万円の計上を余儀なくされていた。新規出店から1年半で閉店する店舗があるなどズサンな店舗展開が表面化していたにもかかわらず、この間に新規出店を強行したことで資金繰りは急速に悪化していた。こうしたなか、金融機関への支援要請や新規大型店の計画凍結、不採算店舗の閉鎖などでしのいできたが、資金繰りは行き詰まり、去る3月12日に阿波(堺)で1回目不渡りを出していた。負債は約231億円。なお、今年に入って上場企業の倒産は富士車輌(株)(負債210億円、大阪市、2月民事再生法)、(株)池貝(負債271億円、神奈川県、2月民事再生法)、フットワークインターナショナル(株)(負債237億円、神戸市、3月民事再生法)に続いて4社目。


2001年03月05日

フットワークインターナショナル(株)


市場大2
コード 
発行株数 
単位株数1000
倒産時株価128
廃止時株価 
倒産日'01.03.05
廃止日 
負債23,700百万円
資本金
11,700,420千円
所在地
兵庫県
態様
民事再生法

メモ/記事引用
フットワークエクスプレス(株)(資本金15億円、大阪府大阪市中央区北久宝寺町4−4−2、登記面=兵庫県加古川市加古川町溝之口507、代表大橋渡氏、従業員4258人)と大証2部上場のフットワークインターナショナル(株)(資本金117億42万1000円、兵庫県神戸市中央区御幸通2−2−14、代表和気島尚彦氏、従業員95人)およびフットワークエクスプレス北海道(株)(資本金1億5000万円、北海道札幌市手稲区曙5条5−4−1、代表田野昌俊氏、従業員455人)の3社は、3月4日、大阪地裁に民事再生手続き開始を申請した。申請代理人は福森亮二弁護士(大阪府大阪市北区堂島1−1−5、電話06−6341−0461)。フットワークエクスプレス(株)は、1938年(昭和13年)10月に兵庫県加古川市周辺の運送業者が戦時下の企業整備により播州貨物自動車(株)の商号で設立、64年には日本運送(株)に商号変更し、90年に現商号となった。貨物輸送(96.6%)を主体にそのほか不動産売買(1.8%)、カニ、メロンなどの食料品販売(1.5%)を手がけていた。茨城県から鹿児島県まで28都府県を営業区域に243運行系列を展開、94ヵ所の直営店、25ヵ所の取扱店を設置するほか、各地域の運送業者をグループ化し、ピーク時の96年12月期には年収入高約1054億5600万円を計上していた。また、レーシングチームを運営しF1レースにも参戦するほか、関係会社を通じてドイツの大手運送会社ハリーハマハーグループを約100億円で買収するなど積極的な事業を展開、このため金融債務は、1000億円を超えるまでに達していた。フットワークインターナショナル(株)は、1981年(昭和56年)2月に日本運送(株)(現・フットワークエクスプレス)の広報活動や荷物追跡システムなどのソフト開発を目的に、運送業者7社の共同出資により全日本流通(株)の商号で設立、90年4月現商号に変更した。86年12月には大証2部に上場した。各地名産品を仕入れ、産地直送便として販売する「うまいもの便」を主体(47.7%)に、グループ会社向けに車両(16.7%)、資材(2.6%)などの仕入業務、通信販売業(7.1%)、ロイヤリティ収入(14.0%)、会員収入・不動産事業など(11.9%)の事業内容で、ピーク時の92年3月期には年売上高約212億7400万円を計上していた。 フットワークエクスプレス北海道(株)は、フットワークエクスプレスから82%の出資を受ける関係会社。1963年(昭和38年)9月に大栄運輸興業(株)の商号で設立された。自動車貨物運送業者として、創業当初は京都に本社を置いていたが、近畿圏から徐々に全国へ営業エリアを拡大、早くから北海道に営業所を開設し、地元の運送業者と業務提携を行うなど、同地区に強い営業基盤を築いていた。86年6月には日本運送(株)(現・フットワークエクスプレス)と業務提携し、出資を受けて同グループに参加、90年1月には現商号に変更するなど、グループ内で北海道エリアを担当、ピーク時の86年3月期には年売上高134億4400万円を計上していた。しかし、海外投資やF1に対する投資の多くが失敗し、過大な投資が固定化していたほか、景気低迷による物流の減少、規制緩和による新規参入の増加から価格下落が進み、中核企業であるフットワークエクスプレスの2000年12月期の年収入高は約752億円までダウン。資金調達も限界に達したことで今回の措置となった。負債はフットワークエクスプレス(株)が約1643億円(保証債務219億円、割引手形17億円を含む)、フットワークインターナショナル(株)が約237億円、フットワークエクスプレス北海道(株)が約74億円で3社合計では約1954億円。なお、今年に入って上場企業の倒産は富士車輌(株)(負債210億円、大阪府、2月民事再生法)、(株)池貝(負債271億円、神奈川県、2月民事再生法)に続いて3社目。


2001年02月28日

(株)池貝


市場東1、大1
コード 
発行株数 
単位株数1000
倒産時株価102
廃止時株価 
倒産日'01.02.28
廃止日 
負債27,100百万円
資本金
5,149,680千円
所在地
神奈川県
態様
民事再生法

メモ/記事引用
東証1部上場の工作機械メーカー(株)池貝(資本金51億4968万4000円、神奈川県川崎市幸区神明町1-80、稲川昭司社長、従業員407名)は、2月28日に東京地裁へ民事再生手続き開始を申請した。同社は1889年(明治22年)5月に創業、1949年(昭和24年)7月に法人改組した工作機械製造業者。国産第1号の旋盤を製造したメーカーとして知られ、1952年2月には東証へ、61年10月には大証へそれぞれ上場を果たすなど事業基盤を確立し、ピーク時の81年9月期には年売上高約297億7100万円を計上していた。その後、経営難に陥ったことから84年から90年にかけて、“再建王”で知られた大山梅雄氏が社長を務め、(株)ツガミとの提携などで立て直しが図られた経緯があり、91年4月には池貝鉄工(株)から現商号の(株)池貝に変更された。近時の売り上げウェートは、工作機械59.6%、産業機械27.4%、エンジン4.0%、鋳造品9.0%で、首都圏のほか大阪、愛知、福岡などに営業所を設置し、また関係会社を相次いで設立し池貝グループを形成、事業多角化を図るなど積極的に事業を展開していた。しかし、近時は国内外の受注低迷や値引き要請から業績はジリ貧を辿り、2000年3月期(97年より決算期変更)の年売上高は約124億7500万円にまで落ち込み、約35億7900万円の当期損失となっていた。この間、工場再編や資産の見直しなどを進めていたが改善に至らず苦しい運営を余儀なくされていた。昨年秋口には支払条件の変更を行うなどしていたが、株価も低迷するなど信用面が大きく低下、ついに自主再建を断念し、今回の措置に踏み切った。2000年9月中間期時点の負債は約290億5900万円(保証債務約35億6000万円、保証予約約40億5800万円、割引手形約37億3400万円を含む)。なお、今年に入ってから上場企業の倒産は富士車輌(株)(負債約210億円、大阪府、2月民事再生法)に次いで2社目。


2001年02月23日

富士車輌(株)


市場東1、大1、名1
コード 
発行株数 
単位株数1000
倒産時株価95
廃止時株価 
倒産日'01.02.23
廃止日 
負債21,000百万円
資本金
1,325,270千円
所在地
大阪府
態様
民事再生法

メモ/記事引用
東証・大証・名証1部上場の富士車輌(株)(資本金13億2527万円、大阪府大阪市中央区西心斎橋2−2−3、田中忠義社長、従業員372人)は、2月23日、大阪地裁へ民事再生手続き開始を申請した。申請代理人は、田原睦夫弁護士(大阪市北区西天満4−4−18、電話06−6363−7800)ほか。同社は、1944年(昭和19年)2月に富士造機(株)の商号で設立し、45年9月に現商号へ変更。52年11月には大阪証券取引所へ上場し、54年9月には東京証券取引所市場一部へ上場していた。事業内容は、橋梁、鉄骨、各種立体駐車場などの鋼構造物製造を主業に、シュレッディングプラント、スクラップシャー、廃棄物処理設備などの各種機械や、鉄道車両、各種産業車両、クリーニング機械などの製造をおこなっていた。橋梁、特殊車両などの製造に高い技術力を有し、機械部門でも環境装置関連を中心に付加価値の高い製品を供給、91年3月期には年売上高約281億6700万円を計上していた。しかし、国内景気の低迷を反映し市況は悪化、業績は急速に落ち込み、98年3月期の年売上高は約201億300万円にまで縮小していたうえ、約17億9200万円もの大幅な当期損失の計上を余儀なくされていた。この間、不採算部門からの撤退、人員削減などの各種リストラに努めたものの、業績の落ち込みに歯止めが掛からず、2000年同期には年売上高約170億8300万円にまで減少、収益力の悪化が続いていた。同年6月には経営陣を一新、10月からは更なるリストラに取り組んだものの、厳しい市場環境から収益の低迷が続き資金繰りは悪化、新規の資金調達も限界となり、ついに今回の措置となった。負債は約210億円。


2000年12月20日

(株)靴のマルトミ

靴のマルトミ

市場名2
コード 
発行株数 
単位株数100
倒産時株価36
廃止時株価 
倒産日'00.12.20
廃止日 
負債76,100百万円
資本金
5,855,830千円
所在地
愛知県
態様
民事再生法

メモ/記事引用
名証2部上場で「靴流通センター」を全国展開している(株)靴のマルトミ(資本金58億5583万1000円、愛知県名古屋市南区駈上2−7−28、茶谷正幸社長、従業員1343人)は、12月20日、名古屋地裁へ民事再生手続き開始を申請した。申請代理人は片山主水弁護士(名古屋市中区丸の内3-5-35、電話052−951−0001)ほか2名。同社は1950年(昭和25年)11月に靴小売を目的に創業、1957年(昭和32年)3月に合資会社に改組された。73年(昭和48年)2月に株式会社に組織変更して以降、靴を中心に玩具、アパレルおよびバッグの直営専門店を積極的に全国展開し、90年1月には名古屋証券取引所第2部へ上場を果たした。靴63%、玩具22%、アパレル、バッグ15%の売上構成で、「靴流通センター」や「靴のマルトミ」、玩具小売の「BANBAN」など10業態の販売チャンネルを持ち、ロードサイド店を中心に1700を超える店舗を有していた。87年に導入した独自の「オーナーシステム」を適用したOS店が原動力となり急成長を遂げ、ピーク時の96年2月期には年売上高約1717億1400万円をあげた。しかし、個人消費の低迷やディスカウントストアとの競争激化から収益性は低迷していた。このため、91年9月には直営店を大幅に削減して全体の70%をOS方式に切り換えることを発表、さらに、靴メーカーから直接仕入れを行うほか、94年、95年同期で不採算店舗180店の閉鎖を実施した。その後もスクラップアンドビルドを積極的に推進してきたものの、長引く消費不振と不採算店舗の増加から99年同期の年売上高は約1380億3300万円に減少、約29億円の当期損失を計上した。99年3月には経営改善計画を発表し、今後3年で不採算店舗380店の閉鎖を柱としたリストラ策により2001年同期の黒字化を目標としていた。計画初年度の2000年同期は311店舗を閉鎖したが、年売上高約1211億2400万円、当期損失約87億円と3期連続欠損を強いられた。予想を大きく下回ったことから2000年3月には「修正経営改善計画」を策定し、2002年同期の黒字化に修正、2000年5月にはメーンバンクから役員が出向されたほか、閉鎖店舗を100円ショップに切り替えるなど立て直しを図ってきた。しかし、2000年8月中間期末の売上高は約513億2800万円、当期損失約61億円を余儀なくされたため、2003年同期に黒字化とする3ヶ年経営改善計画を再度修正した。こうしたなか、9月27日にメーンバンクから債権譲渡登記を設定され、主力取引先も撤退するなど信用不安が拡大、12月20日期日の手形決済資金の調達が困難となり自力再建を断念、今回の措置となった。負債は、約761億円(11月20日現在)。 なお、上場企業の倒産は赤井電機(株)(東京、負債470億円、11月民事再生法)に続き今年に入って12社目となり、過去最悪の上場企業の倒産を記録した65年(11社)を上回った。


2000年11月02日

赤井電機(株)

赤井電機

市場東1、大1、名1
コード 
発行株数 
単位株数1000
倒産時株価9
廃止時株価 
倒産日'00.11.02
廃止日 
負債47,000百万円
資本金
34,851,260千円
所在地
東京都
態様
民事再生法

メモ/記事引用
東証・大証・名証1部上場で音響・映像機器メーカーの赤井電機(株)(資本金348億5126万974円、東京都小平市鈴木町1−153、代表榎本康一氏、従業員44人)は、11月2日に東京地裁へ民事再生手続き開始を申請した。申請代理人は椿 康雄弁護士(港区赤坂1−12−32、電話03−3505−4600)ほか。同社は、1924年(大正13年)に自動車電装部品およびマグネット・ラジオ部品などの製造を目的に創業され、29年(昭和4年)7月に法人化した。その後はテープレコーダーやオーディオアンプ・チューナーなど音響機器やTVなど映像機器の取り扱い比率が上昇し、ヨーロッパや東南アジア、アフリカなど海外への輸出を主体に業績を伸長させていた。海外では高級テープデッキの名門として知られ、特にヨーロッパで「AKAI」ブランドは高い人気を博し、68年11月に東証2部へ、70年4月には東証1部へ上場を果たしていた。しかし、輸出比率が高かったことから、近年の円高進行で経営が悪化。メーンバンクおよび大手電機メーカーの支援を受けて再建を進めていたが、95年2月、香港に本拠を置く多国籍企業グループ、セミ・テック(新社名、アカイ・ホールディングス)が同社株式を取得することで、事実上同グループの傘下に入った。その後、社有不動産の売却や人員削減、工場設備の海外移転など合理化を進めるなど、財務内容の改善に努めていたが、99年以降は、グループの山水電気と共同で開発に取り組んでいたDVD(デジタルビデオディスク)の開発作業の遅れや、海外からの回収遅延により資金繰りはひっ迫、支払遅延なども発生するようになり、信用不安が高まっていた。99年11月には、アカイ・ホールディングスから、香港の多国籍企業グループ、グランデ・グループの傘下に入って再建を目指したが、2000年3月期には年売上高約126億3100万円に対し、海外販売会社向けの貸倒引当金や子会社の投資損失引当金の計上などで約1026億5100万円の最終赤字を計上、約426億円の債務超過に陥っていた。また、同期の決算書が監査未了のまま東証に提出されたため、適時開示規則に基づく改善報告書の提出を求められたため、信用不安がさらに拡大。こうしたなか、2000年8月23日には、香港裁判所において、アカイ・ホールディングスなど関連会社が清算の決定が下され、同社は経営再建のための対応を迫られていたが、膨大な債務負担が重く業績改善も見込めないことから、今回の措置となった。負債は470億円。


2000年09月29日

川崎電気(株)

川崎電気

市場東2
コード 
発行株数 
単位株数1000
倒産時株価74
廃止時株価 
倒産日'00.09.29
廃止日 
負債25,310百万円
資本金
1,218,080千円
所在地
山形県
態様
民事再生法

メモ/記事引用
東証2部上場の電気機械器具メーカー、川崎電気(株)(資本金12億1808万6750円、山形県南陽市小岩沢225、川崎暢社長)は、9月29日に東京地裁へ民事再生手続き開始を申請した。申請代理人は田中和義弁護士(東京都新宿区四谷2-14、電話03-3351-3271)。同社は、電機部品製造を目的に1926年(大正15年)3月に個人創業した川崎電気商会を40年(昭和15年)6月に法人改組するとともに、現商号に変更した老舗の電気機械器具メーカー、山形県下に本社を置く企業としては初の上場企業で62年11月に東証2部に上場していた。長年にわたって電気機械器具の製造を手がけ、大手の電気設備工事業者などを主力得意先として安定した営業基盤を確立し、配電盤、自動制御盤、分電盤などを主に製造していた。また、90年5月には神戸工場、7月には前橋工場を増設し、12月には提携先である東証1部上場メーカーの横河電機との合弁によりエンジニアリング・ソフトウェア会社を設立するなど積極的に業容を拡大し、93年3月期には年売上高約274億2200万円を計上していた。しかし、景気低迷にともなう設備投資抑制などから以降の受注は低迷を続け、99年同期の年売上高は約164億1700万円にまで減少していた。この間、大阪工場や前橋工場を売却するほか、グループ全体で158名にのぼる大幅な人員削減を実行するなどのリストラを敢行するものの、バブル期の過剰な設備投資によって膨らんだ借り入れ負担が財務面を圧迫し、連続欠損計上を余儀なくされていた。また、98年10月には、同社のメーンバンクであった旧・日本長期信用銀行が一時国有化され資金調達力は低下、2000年3月期の年売上高は約150億7500万円にとどまり、グループ会社の整理・統合などの抜本的な会計処理を実施し約92億円の特別損失を計上したことで、財務面は約22億円の債務超過に転落していた。このため、抜本的な再建策として、今年5月には、メーンの旧・長銀をはじめとした金融機関に総額約35億円の債権放棄を要請するとともに、減資による欠損金の補填の後に第三者割当増資を実施するなど財務体質の強化を図る再建案を打ち出していた。しかし、再建を支援するスポンサーの交渉が難航、資産劣化も進み先行きの見通しも立たないことからついに自主再建を断念、今回の措置となった。また、グループ会社で同業の川崎電気マニュファクチャリング(株)(資本金1000万円、同所、同社長)、板金・塗装業の川崎工業(株)(資本金3000万円、同所、同社長)、電気機械器具メーカーの九州川 電気(株)(佐賀県佐賀郡大和町大字川上4583-1、同社長)も同時に民事再生手続き開始を申請している。負債は、川崎電気(株)が約253億1000万円で、川崎電気マニュファクチャリング(株)が約13億8500万円、川崎工業(株)が約4億4700万円、九州川崎電気(株)が約8億6600万円で4社合計では約280億800万円。なお、上場企業の倒産は、藤井(株)(大阪、負債108億円、9月民事再生法)に続いて今年に入って10社目となった。


藤井(株)

藤井

市場東1、大1
コード 
発行株数 
単位株数1000
倒産時株価62
廃止時株価 
倒産日'00.09.24
廃止日 
負債10,800百万円
資本金
2,308,200千円
所在地
大阪府
態様
民事再生法

メモ/記事引用
藤井(株)(資本金23億820万円、大阪府大阪市中央区本町2-2-5、藤井磯二郎社長、従業員220人)は、9月24日に大阪地裁へ民事再生手続き開始を申請した。申請代理人は片井輝夫弁護士(大阪市北区西天満5-1-9 栄光綜合法律事務所、電話06-6365-1251)ほか5名。同社は、1907年(明治40年)2月に絹糸販売を目的に藤井糸店として創業、業容の進展に伴い、繊維製品販売などを目的に、1919年(大正8年)2月に法人改組され、1971年(昭和46年)に現商号へ変更された。73年には大証2部へ81年には東証2部へと上場し、83年にはそれぞれ1部へと昇格を果たしていた。倉敷紡績(株)からの出資を受け、婦人用ニット・セーターを始めとする各種繊維製品の企画卸売業者として、大阪本社のほか東京、福岡、札幌などへ営業拠点を設置、業容を拡大していた。大手スーパーや百貨店や専門チェーン店を中心として、問屋・通販業者に販路を確立。ブランドとしては、高級小売店・通販向けに「サマルカン」「リッシュボー」、量販・専門チェーン店向けに「マイウッディ」「ビアンカ」などのオリジナルブランドを展開、多様な商品展開を図り、ピーク時の86年2月期には年売上高約381億2600万円を計上していた。しかし、その後は長引く消費低迷を背景に販売単価のダウン・企業間競争の激化に加え、返品も相次いでいたことから業績はジリ貧となり98年3月期(決算期変更)の年売上高は約187億400万円にまでダウン、約20億700万円の当期損失を余儀なくされていた。この間、不採算部門となっていた手編み毛糸部門の営業譲渡や販売先の見直し、希望退職の募集による人員削減など合理化を進めるほか、有価証券の売却、事業用土地の再評価もおこなうなど財務内容の改善に努めていた。しかし、2000年同期の年売上高は約137億5200万円にとどまり、約39億4800万円の繰り越し欠損を余儀なくされるなど資金繰りは多忙化。こうしたなか、9月25日の決済資金、約6億円の資金調達が困難となったことから、今回の措置に踏み切った。負債は約108億円。なお、上場会社の倒産は、(株)そごう(大阪、負債6891億円、7月民事再生)に続き今年9社目で、上場会社の民事再生法申請は4月の法律施行後4社目となる。