エルカクエイ興国鋼線素

2000年04月01日

日貿信


市場東1
コード 
発行株数 
単位株数
倒産時株価
廃止時株価 
倒産日'00.04
廃止日 
負債289,900百万円
資本金17,000,000千円
所在地東京都
態様民事再生法

メモ/記事引用
金融業。東証1部→監理ポスト
東証1部上場で、4月1日付で監理ポストに割り当てられていた金融業の(株)日貿信(東京都中央区)は、4月25日に東京地裁へ民事再生手続きの開始を申請した。 同社は1957年4月、一般銀行業務および発券業務を手がけていた台湾銀行が終戦とともに閉鎖機関として指定され、その残余財産を引き継ぐ形で設立された。主に外国銀行からの資金調達で、商業手形割引および手形・証書貸付など金融業を手がけ、81年2月に東証2部へ、82年9月には東証1部へそれぞれ上場を果たしていた。 その後、バブル経済の到来とともに順次業容は拡大し、ピーク時の91年3月期には年収入高1,291億円まで伸長、ノンバンクとしてはトップクラスの業容を誇っていた。 しかし、91年4月に静信リース(株)(負債2562億円、静岡県、更生法)が倒産するなど、バブル崩壊にともなう融資先の相次ぐ倒産で多額の不良債権が発生し、一気に経営不振に陥った。 このため、92年3月に「経営改善計画」を策定。これに基づき、当時代表だった斎藤礼士氏をはじめ旧経営陣が総退陣する一方、大蔵省出身の水口昭氏ほか新経営陣のもとで取引金融機関の支援を受けながら再建を進めていた。 ところがその後も業況は好転せず、95年9月に「各年度毎に無担保借入比率に応じて債務を免除」「計画期間内の借入金利息は原則全額免除」「計画期間内の借入金の返済原資は貸出債権の回収元金ならびにその他資産の処分代金を充当」を骨子とした「新・再建計画」を策定。その後、95年10月に系列ノンバンク2社、東京抵当信用(株)(負債3,000億円、東京都、商法整理)と協和商工信用(株)(負債600億円、東京都、商法整理)の清算を進めるなど抜本的な経営改善に乗り出し、97年3月期中には2000年3月までを期限とする同計画に対し、取引金融機関からの同意を100%取り付けていた。 しかし、98年3月期は年収入高60億円、当期損失35億円と業績は好転せず、債務超過に転落。さらに99年3月期は年収入高が39億円まで落ち込み、債務免除益879億円を特別利益に計上したものの、貸倒引当金1,871億円を計上したことにより、当期損失は1,001億円にのぼり、債務超過額は1,035億円まで膨らんでいた。 こうしたなか、5ヵ年の新・再建計画が2000年3月に終了するのを受け、84の取引金融機関へ2,387億円の債務免除を要請していたが、要請額が巨額なうえ、4月以降の収益計画にも問題があるとして主力5行を含む10数行から同意が得られず、2000年3月期決算で2,000億円を超す大幅な債務超過に陥ることが確定。3期連続の債務超過により上場維持は不可能となり、4月1日付で上場廃止へ向けて監理ポストに割り当てられていた。 その後、他の金融機関からも同社に対する債務免除を撤回する動きが相次ぎ、業界環境も依然として先行きの見通しが立たないことから、ついに自主再建を断念した。 負債は約3,000億円。 上場企業の民事再生法申請は東洋製鋼に次いで2社目。


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